こんな本を教えてもらいました。

まずは、オドロキのせりふ!
「細胞は皿を食べようとしているのです」

これは、
『細胞の意思--〈自発性の源〉を見つめる』の著者である
団まりなさんのことば。

  体内に異物が侵入すると、
  自らをカーペットのように広げ、
  仲間たちと協力し合いこれを覆ってしまう大食細胞。

その大食細胞の説明で出てくる話。

そして、こうも言います。

  細胞が私たち人間と同じように、
  思い、悩み、予測し、相談し、決意し、
  決行する生き物だということです。

これだけでも面白そうなので、すぐ注文してしまいました。


以下、毎日新聞の今週の本棚から養老孟司さんの書評をご紹介。

今週の本棚:養老孟司・評
◇『細胞の意思--〈自発性の源〉を見つめる』 団まりな・著
 (NHKブックス・1019円)

 ◇人間のように「思い、悩み、決断する」
 本のタイトルは「細胞の意思」、帯には「思い、悩み、決断する細胞たち」とある。これは文学、それとも哲学の本か。あるいは昔の共産党の話か。そんな風にいわれそうな気がしないでもない。もちろんそうではなくて、れっきとした生物学の本である。著者は長年、大阪市立大学で発生生物学を研究してこられた。

 生物学といっても範囲は広い。本書の主題は、発生学の初歩を習った人なら、懐かしいはずの初期発生が中心である。受精卵が卵割という細胞分裂をして、初期の胚(はい)を作っていく。そのあたりの過程で、細胞たちは、どのようにふるまっているのか。それが記述の中心になっている。

 ただし最初の部分は、細胞には原核細胞、ハプロイド、ディプロイドという三種類があるという説明から始まり、次に一般的な細胞のふるまいをよく示す例として、大食細胞が紹介される。その次に「細胞の思い、人間の思い」として、主題が始まるのである。

 それなら教科書から始まって、これまでにいろいろ書かれているんじゃないのか。いまさらなにを書くことがあるか。いろいろ忙しいんだし、この本に出てくることで、いままで学界に知られていなかった新事実だけ、短くまとめて紹介してくれないか。

 私はそんなことをする気は毛頭ない。まず第一に、それは著者に対して礼を失する。科学者は一人一人が研究をしている。それはいわば文学や芸術と同じである。学界ないし学会が研究をするわけではない。学界が論文を読むわけでもない。それなら学界にとって既知かどうかには、大した意味はない。しかも著者だって、学界の一部かもしれないではないか。じつは「書かれたもの」は、すべて既知だというしかないのである。

 第二に、私が知りたいのは、同じような事実が対象であっても、それに対する著者の見方、考え方である。生物学のあらゆる部門のあらゆる詳細を知る暇なんか、だれにだってあるわけがない。それに私の場合には、もう寿命もない。初期発生をいまさら勉強しようなんて積もりはない。

 ではこの本からなにを読むのか。「私が本書で伝えたいことは、細胞が私たち人間と同じように、思い、悩み、予測し、相談し、決意し、決行する生き物だということです」。著者はまずそう述べる。ここで私は、夢野久作の『ドグラ・マグラ』の主人公を思い出した。精神病院に入院している博士は、「脳髄は電話交換局に過ぎない」「考えているのは個々の脳細胞だ」というのである。

 私は著者をからかおうと思っているのではない。夢野久作と団まりなの違いはどこにあるか。実際の細胞を観察しているか、否か、である。

 あるとき著者が細胞について話すのを聞いたことがある。ふつうの細胞の電子顕微鏡像が映し出された。著者は細胞内部のなにも写っていない地の部分を指し、ここになにがありますか、と訊(き)いた。実際の細胞ではそこに水があり、それに溶け込んださまざまな物質が存在し、流動している。でも頭で勉強した細胞のそこには、「なにもない」のである。

 私も著者と同じように、若い頃(ころ)に細胞を培養していたことがある。その細胞はしばしば平たくなって、培養皿の表面に張り付いてしまっていた。大食細胞がそうなってしまうことについて、著者は「細胞は皿を食べようとしているのです」という。それを読んで、私は笑い出してしまった。私自身もなぜ培養下で細胞が平たくなるのか、不思議に思っていたのだが、それ以上のことは考えたことはない。いわれてみれば、なんとも納得がいったのである。大食細胞が異物を食べようとするとき、小さいものなら、相手を「包み込んでしまう」わけだが、相手が大きいと、その表面に張り付く結果になる。

 「自然科学は、物理学と化学が先行したために、物質の原子・分子構造を解明するものとの印象を、人間の頭に強く植えつけました。このため、細胞を究極的に理解するとは、細胞の分子メカニズムを完璧(かんぺき)に解明することだ、という公理または教義のようなものが蔓延(まんえん)することになってしまいました。この教義は今も現役で、細胞に関する学問を支配しています」

 私もいわばこの教義が社会的に確立していく過程を生きてきたから、著者のいいたいことがよくわかるように思う。ただそんなことはどうでもいい。私がなんとも面白いと思うし、さらに感心することは、「著者にとってまさに細胞は生きものだ」ということなのである。女性の優れた研究者は、しばしば自分の扱う対象が「生きてしまう」らしい。バーバラ・マクリントックは遺伝学の研究で晩年にノーベル賞を受賞したが、「自分がトウモロコシの染色体のなかに立っている」と述べたことがある。中村桂子氏を引き合いに出すなら、おそらくゲノムがそういう存在なのだと思う。昔の先生なら、「仕事をやるなら、そこまで行かなきゃダメなんだよ」と一言いったであろう。

(毎日新聞 2008年9月7日 東京朝刊)